Amazon.co.jp: 花のズボラ飯 うんま~いレシピ―なぜ、ズボラ料理なのに泣くほどうまいのか: 久住 昌之, 水沢 悦子: 本
2巻が出たばっかりですが、1巻を買おうと思ったのが、間違えて「レシピ」のほうを買ってしまうという…まぁ、昼は家にいることが多いので、しばらくはこれでご飯を作ってみますか。ええ、後から1巻は別の書店で買い直しました。
Amazon.co.jp: かっこいいスキヤキ (扶桑社文庫): 泉 昌之: 本 や、Amazon.co.jp: 豪快さんだっ! 完全版 (河出文庫): 泉 昌之: 本 を知っているので、内容的には外れはないのですが、ん~、絵を何故と思っていたものの、特に抵抗はなく機会があればと思ていた「ズボラ飯」です。「花」というのは名前だったのですね。旦那が単身赴任、本屋でバイトをする準一人暮らしの女性という設定は(主婦業なんだから、付いていっても良かろうと思うのですが)まあ、なかなかツボを得ています。わたくし的にツボと思うのは、
- 旦那(ゴロさん)が絵的に出てこない。「既婚」という設定だけがある。
- ひたすら、家でズボラ飯を作る(食べる)という回が続く。
清い、実に清い漫画です。この「清さ」は、久住/泉 昌之 しか出せません。口絵のところに、扇風機とコートとマフラーが一緒にでてくるところが、リアルです。あと、科白にいちいちダジャレを入れるのが、ストーリー性を無視した漫画という物語でありますね。
さて、「ズボラ飯」だけの解説だけで終わってしまってはつまらないので、プログラム関係に派生させてみます。
Amazon.co.jp: 職人学: 小関 智弘: 本 を読むと、「治具」(じぐ)という言葉がでてきます。製造業界で「部品を作るときの部品」というちょっとメタ的な使い方をするもので、直接製品には関わらないけれども、その部品を作成するときの支えとなるものです。この治具ですが、作成するのにあまり長時間掛かっては困ります。また、大量生産ができるものではない(少量多種の典型)なので、あまり複雑怪奇なものでは困ります。場合によっては、設計図自体はなくて製作者の勘や過去の経験(他の人の経験も含めて)を利用して作ります。(最近の、製造業界の治具は、非常に高度ですが)
これをプログラミングにあてはめてみると、
- 本来、スクリプト言語(sh, awk, sed など)は使い捨てで作れるものが多かった。
- 汎用性よりも、多様性を重視して、実行するのに直結するパターンが多い。
(パラメータは、外部から与えるのではなく、ソースコード自身に書いてあるとか) - いちいちフローチャートなどを書くのではなく、さっくりと経験を踏まえて1日位で書いてしまう。
なところです。最近では、クラスライブラリなどが完備されてきたので、昔よりも非常に高機能なものができます。が、「さっくりと作れる」ところを忘れてしまうと、目的と手段を取り違えた「使い捨てプログラム」ができてしまうのが難点です。
で、「ズボラ飯」を読んでいて思ったのですが、
- コンビニのおにぎりでお茶漬けを作るとか、
- 鮭フレークを使うとか、
- ふえるわかめが常備されているか、
そういう、コンビニエンスな加工食材が出てきます。この「コンビニ」なところというのは、いわゆるプログラム言語が持っている豊富なクラスライブラリにあたります(と強引に引っ張ってきます)。昔は、sh からちょこちょこと ls やら sed を組み合わせて作ったものですが、最近は C# で豊富なライブラリを駆使して作っても、「似たようなもの」が「似たような時間」で出来ます。このあたり、java や ruby のライブラリも同じですね。
となると、治具としては高機能すぎるのですが、実際に使っているものはほんのちょっぴり。かなりオーバースペックではあるものの、「既に」豊富なクラスライブラリがあるのですから(場合によっては無償で)、それを使えばプログラム的な「治具」が手軽に作れるわけです。このあたり、オープンソースに似ていますが、ちょっと違います。「無料」なところにポイントがあるのではなく、手近なところに手近な値段のものがある(コンビニで買うと、ちょっと高いけれどもコンビニエンスに、ちょっとだけ支払ってもよいですよね)というのがミソです。このあたり、apple appとかも同じです。
さて、「ズボラ飯」的にプログラミングをするとどうなるかというと、
- 手元なり、手近なところに高機能なライブラリがある。
- 高機能ではあるけれど、使うところは、ほんのちょっぴりで良い
(マニュアルは、必要なところだけ読めばいい) - 過去の経験を踏まえて、さっくりと作る。
ケチャップを入れるとか、味噌を入れるとか、結果を想像して調味料を入れるように、クラスライブラリの組み合わせにちょっとだけ手を加える。 - そして、楽しみの彩(いろどり)を加える。
ズボラ飯は、単に食するだけではなく、うまいズボラ飯を食う、という目的を達成する手段を持つ。
最後の「彩」のところは、プログラムで云えば、ちょっとアイコンを加えてみたり、デザインを変えてみたり、自分好みにスイッチを加えてみたり(他人には美味くなくてもよいのです)というところです。
で、何よりも「手軽」に作れるかつ、多少の手間を惜しまない(ミョウガを切るとか、海苔を細く切っておくとか)、の精神が必要ですね。