永青文庫 春画展に行く

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と、闇嶽さん と、永青文庫 春画展に行ってきました。まあ、春画展がおまけで闇嶽さんとくだ巻くというのが目的だった訳ですが、宮武外骨 FAN としては春画は外せないし、芸術的な版画という見方と、当時の風俗(世間という意味で)の春画があるので一見しておくのが良いでしょう。知らなかったのですが、テレビで宣伝されていたらしく連休中は混み混みでまともに見られませんでした。有名な「蛸と美女」の現物があるのと、布に書いた一品もの、版画、豆版(戦時中に兵員が持って行った春画)と揃えて会って、小さなイベント会場ではありますが歴史的にも見ておくとよいでしょう。ちなみに、うちの奥さんは国文科で黄表紙で、この手の風俗画のくずし字のところを読んで研究をしておりました。黄表紙に書いてある文章を読むと当時の風俗(一般生活という意味で)がよくわかるので、必須な科目なんですね。版画のほうのくずし字は読みやすいそうなので1年も経たずに読めるようになるそうです。

弾圧されてから華開く

一般に春画といえば、現在でいうエロ本/エロビデオの類が対象にされますが(まあ、実際にそうなわけだし)、春画の変遷を見ていくと単純に性欲を満たすために行った発展ではありません。まあ、版画の12刷の技術は他に解説を譲るとして、本来の発祥を考えてみましょう。ちょうど、今回の春画のそれの構成になっています。

初期のころ、春画自体は自由に描かれていました。版刷で大量にばらまくのではなく、貴重な本として公家あたりの上流階級で使われていたものです。絵なり本なりは希少品ですからね。このあたりの時期には布に手色彩で描いてあるので、きれいではあるのですが一品ものですし、精細を欠いています。芸術品といえば芸術品だし、競合がいないといえばいないという状態ですね。これ4階の展示になります。

享保の改革があって、春画が弾圧されたのは、きれいな政治だったのか整然とした政治改革だったのかはわかりませんが、一方で公家なり武家階級を猥雑に描いた春画がそれを理由に発禁になったのではないかと私は考えています(なんかそういう話もあったような気がする)。絵を描く側からいえば、ちょうどいい侮蔑/反骨の仕方でもあったし、体制側からいえばそういうのを許しておく余裕はなかった時代ではなかったかと思われます。そういう訳で、一見おおぴらに開かれていた春画が、一遍して地下に潜るわけです。

で、地下に潜った場合にはアメリカの禁酒法時代と同じで、手に入らないからこそ高値で取引されます。高値だからこそこぞって絵師が手をつけるし、こぞって手をつけるからより手の込んだものが生まれるわけですね。西洋ジャポニズムの評価を待つまでもなく、ふつうの版画とは桁違いに手を尽くした版画が作られます。これが3階の展示ですね。

たくさんの絵師がかかわれば、単純なな春画では売れなくなってしまいます。何か趣向を凝らせないといけないわけで、そは閻魔大王の春画であったり、屋形船の春画であったり、ピーピングトム(のぞき見の小さなおじさん)の趣向であったり、蛸と美女であったり、するわけです。一方で同時期に妖怪画もあるわけで、カンブリア紀的に組み合わせが爆発するのがこの時期です。

そうこうしてるうちに、春画を描いている絵師は年老いてばたばたと死んでいく。幕末の戦乱に向かっていく、西洋に対抗するために清い日本を演出するため春画を無視していくという時代に突入します。絵師/彫師/擦師の家内手工業的な匠の技が失われたころに生まれたのが、2階展示にある豆版ですよね。戦地にもっていくお守り(かつ気晴らし)として小さな春画を持っていきます。水木しげる著の漫画にも出てきたような気もするのですが、まあそういうものが流行ったわけです。このあたり慰安所も同じかと。

そのあとに、現在のエロ漫画/エロ映像が続くのかどうかは分かりませんが、皆さまが知っている蛸と美女の絵を伝承する日本のエロ漫画業界においては、そういう精神も低音ではあるのかなと、期待したり期待しなかったりする訳です。

外骨と春画

宮武外骨が様々な新聞を発表していった背景には、彼の嗜好も多いに含まれていたと思いますが、多くはその批判精神が言動力です。官吏に盾ついたり、権力志向を揶揄したする中でミニコミ誌的な自費出版を続けています。単につむじまがりだったのかもしれませんし、なんらかの反骨精神があったのかもしれません。ただ、こういう人が歴史的にいるという事実自体が「社会の縁」にいるひとにとっては非常な安らぎになるんですよね。赤瀬川原平、南伸坊という系列で現在に至ります。

こういう変わったところを許容する社会が重要であって、なにかきな臭いときにはこの手の「許容」がなくなってきます。社会の縁を排除して、中央値に寄ろうという圧力がかかってくるわけです。

これをまともに取り扱うと、あれこれ馬鹿らしいことが起こるので(いや、斜めに扱ってもえらいことが起こってしまうのが常なのですがw)、外骨は春画の稀有な組み合わせの下流に猥雑なものを置きます。「猥雑風俗辞典」を紐解いたり、滑稽新聞を取り出したりすればいいのですが、このあたりの全方位的な批判精神(ともすれば、悪漢小僧的な揶揄でしかないかもしれませんが)が必要だったりします。どうせならば、楯の会のパロディのような極右翼から極左翼に一周/一蹴してしまうような「面白がり方」が必要ではないか、と思ったりするわけです。それはさておき、体制側が真面目に取り締まれば取り締まるほどばかばかしくなるような春画とパロディの組み合わせが面白味の境地です。そのあたりの面白味がなくて、なんぞ人生か、というところです。

早稲田の学祭から池袋へ

そんな訳で、つらつらと春画を見た後は(あまりに混んでいたので後日に平日に行きたいと思っています)、なぜか早稲田の学際(音楽祭?)っぽいもので、早稲田の地ビールを飲みながら、AKB もどきの予備軍を眺めつつ(一生懸命に応援する学生が3名ほど、追っかけ?)。同世代(2つ違い)と分かった闇嶽さんとは、10年以上の付き合い(ネット上だけではありますが)で、話の内容的には以心伝心、ネット上の話の素直に延長になります。それぞれの仕事振り、生活振りはさておき、と言いたいものの、「生活する」という点は一致するし、まあそういう世代なのかもしれません。ただ、本質的に「体制側万歳」にならないのが、性といいますか、そうじゃないから外骨に傾倒するわけですし、まあ、そんなところですよね。お互い爆死/憤死することは避けたいものです。

ひとり考えていたり、ツイッター上の情報を集めてみたり、あれこれと日本の行く末を考えてみたりすると、自分がなんぞ加担できることはないかと考えたりしますが、まずは目の前の「仕事」をきっちりとやるというのが自然な態度でしょう。なんか、遊んでいる人があれこれと意見を言ったり、意見がころころ変わる人が「絶対、大丈夫です。私を信じてください」と言ったりしてても、信用されませんよね。実例も実績もないのに、年収を語/騙ったり、超自然現象やらねつ造やらゴッドハンドやらスタップ細胞は絶対ありますやらと一緒なのですよ。うまく見えない場合は見えないなりに、自分で判断すればよいし、妄信/猛進するのではなくてちったあ自分の頭で考えた故の結果を自分の人生で責任を取ればそれで良しでしょう。そんなことをつらつら考えて、ビールを飲みつつ、最後はねむくなって居眠りしてしまいましたが(もうなんか、酒に弱くなって無理)、そういう時間を過ごしてまいりましたし、また、そういう時間も引き続き過ごしたいものです、という一日でありましたとさ。

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