メトロスタイルとバウハウス

前回の記事 再びメトロあるいは、アールデコと Windows8 と iOS7 – Moonmile Solutions Blog で「バウハウス系統では?」というコメントを貰ったので、急遽チェック。「iOS 7」における、デザイン哲学のせめぎ合い « WIRED.jp と友人の話によれば、現在のWEBデザイナ(広義の意味ではプロダクトデザイナー?)にとって、デザイン学校では「バウハウス」の存在を学ぶのだそうで、なるほどその「系統」となれば、「フラットデザインと呼ばれるもの」は別な意味を持っている。

ちなみに、三井秀樹著「美の構成学」をざっと読んだ限りでは、バウハウスの発祥が、個々人の職人的な装飾の作り込み(アールデコやそれ以前に代表される美術的観点や個としての職人の腕に頼る装飾)から、大量生産や「プロダクト」という制作工程を前提とした、製品として作りやすいデザイン(おそらく「品質のばらつき」が少ない製品デザイン)を進めるうえで、何等かの基準でありそれを実現させるための思想なり教育なりを実現する発端となる。おそらく、ドイツ特有の「マイスター制度」から草案された、プロダクトデザイン以前と以後の境目になるのでは?と思っている。このあたりは、明日あたりに「バウハウスの本」が届くのでそれを読んでから。

で、その実際の発端はさておき、どうやらプロダクトデザインについてなんやかんややろうという象徴としての「バウハウス」という呼称があり、先の WIRED にある「スティーブ・ジョブズは、自分がもっとも強い影響を受けたもののひとつとしてバウハウスを見なしていた。」の下りはそれなのかな、と思うのだが、元ネタは何処にあるのかは知らない。どこかで「WEBデザインの本来の姿を取り戻す」という文も見たのだが、「本来のデザイン」自体が何なのか(本来は何をベースにしたかったが偽って何をつくっていたのか)の言及がなかったので、これもよくわからない。が、それらを別にしても、「バウハウス」という固有名詞は、iOS 7 のフラットデザインと、Windows 8 のメトロデザイン(と呼ばれていたもの)の源流であることは確からしい。

ちなみに、メトロスタイルの源流がバウハウス(Bauhaus)にあることの言及は、Ken Azuma : //build/ 参加日記 メトロスタイルデザイン にあって(infragisticsは NetAdvantage などの画面コンポーネントを作っている会社…がインドにある。デザインは別かも)、「モダンスタイル」という言葉が使われている。実際、「メトロデザイン」がやばくなった後には「モダンデザイン」あるいは「モダンスタイル」という用語が(英語では)使われているので、それはそれでOKかと。ただ「モダン」という用語自体が、日本ではあまりモダンに聞こえないので広告戦略として日本では広めていない。

さて、バウハウスを源流としたときに、その思想を取り入れるのか、それとも表層的なものだけを真似するのか、ということになるのだが「商業主義的」に考えれば、表層だけでOK。ただし、他人の言う(MicrosoftやAppleも含めて)、フラットデザインの原則や効用やら、人間工学やら最新のデザインやらという言葉は、すべて「広告的な意味あいを持つもの」として聞き流しておく必要がある。ってのが一番の前提。その上で、バウハウスやグリッドシステム、タイポグラフィを取り入れるとOKだし、実際バウハウスが発生したときの前後を学んでおくことは、有用ではないか?と思った次第。

ちょっと、現象学と認知学に話を移すと、

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http://www.subblue.com/blog/2011/3/5/fractal_lab

例えば、フラクタルアートは文句なく美しいと感じる(感じる人が多いということで…)ことができるのは、アプリオリに「美しい」と感じるものがフラクタルで表現される「生物一般の惹かれるもの」であり、生物の根源にある式であるからに過ぎない。なので、因果関係が逆で「フラクタルが美しい」のではなく、「美しいのがフラクタルである」と言い換えることができる。では、必要十分条件として、フラクタルであればすべからく美しいのかどうか?は否であり、フラクタルを根底に持てば「美しくみられる確率が高くなる」という現象が発生するだけである。これは黄金比にも言えることで、黄金比にすればすべからく美しく見えるのかと言えば、そうは言えない。ただし、ある条件をクリアすることはできる。しかし、注意しておかなければいけないのは、フラクタルでないものがすべからく「美しくない」かというとそうではない。なぜならば「美しい」という現象(そう感じるという現象)自体が曖昧さを含み、同じものであっても時と場所が異なれば、それは「美しく」感じない場合もあるし、美しく感じない人もいる。なので、フラクタルという式自体には曖昧さがないものの、純粋なフラクタルの式を現象として「見せる」ことができるものに曖昧さがあり、更にそれを判断するための「美しさ」に対して曖昧さが含まれるゆえに、どちらも必要十分条件になりえない。ゆえに、「フラクタルアートは美しく感じることが多い」という言及にとどめておくのが望ましい。

これは、フラットデザインにも言えることで、フラットデザインにすればすべから使いやすく、すべからくWEBデザインの最先端(あるいは、メトロスタイルの最先端、iOS 7 アプリの最先端)になるかどうかは、必要十分条件ではない。勿論、フラットデザインという式が存在しないので(Windows 8 と iOS 7 という表層があるだけである)「フラットデザイン」自体の定義も曖昧なままである。しかし、曖昧でもOK。実際問題としては、フラットデザインは選択肢であって、時から離れた自由な存在ではないこと。もっと具体的に言えば「流行り」です。

それを踏まえたうえで、バウハウスという当時のプロダクトデザインの流行りと、それに対する各人の努力(偉そう…)に敬意を評し、過去から学ぶことによって舗装された高速道路を突っ走ることを感謝しつつ(羽生棋士曰く)、バウハウスとタイポグラフィの再入門ってことで。タイポグラフィは高校の頃にちょっと突き詰めたことがあるので知っているのですが、当時は紙への印刷が主流だったわけで、昨今のコンピューターディスプレイ表示では大きく異なるわけで、さらにタッチパネルを主流としたタブレットPC(iPhone, iPad なども含む)におけるタイポグラフィはまた異なるわけで。

そうそう、バウハウスの発端としては、当時は制作をする職人の違い(あるいは工程)に依存しない製品の品質を求める、という前提があるがゆえの「セリフなしの活字」だったり、平面構成や部品の標準化、部品自体の装飾の削除だったりするので、それを踏まえていないグリッドシステムの推奨やアイコンの作成、クロームへの言及は、ちょっと的はずれなのでは?と思ったり思わなかったり。いやいや、ただし、ポストモダン、ポスト構造主義としての「フラットデザイン」を追及するのは十分ありかと思います、ってことでちょっと「バウハウス」の本の到着待ちまで。

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メトロスタイルとバウハウス への1件のコメント

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