筒井康隆の世界(再放送)を見ての感想を

筒井康隆の世界 – NHK https://www.nhk.jp/p/ts/7JPPP2R737/

去年の放送なので、現在は91歳ということになる。訃報は聞いていないので、まだ夫婦で老人ホームにいることになる。

実は『敵』を買って以来(しかも未読)な状態で、最近はあまり追ってはいなかった。現在90歳ということは、30年ほど前に新宿の紀伊国屋に身に行った筒井康隆は60歳ぐらいだったのかと。自分と30ほど違うとは驚きでもある。握手して貰った。

先日、「百年の孤独」を買い直した。ガルシア・マルケスがノーベル賞を取ったときに買っては見たものの暫く放置の状態で、引っ越しの折にBOOK OFF に売ってしまったような覚えがある。引っ越すときに、3,000冊の本を2,000冊位に減らした時にまぎれてしまった訳だが。あまり本は捨てるものではない。とはいえ、最近は電子書籍が便利になったので、Kindleに2,000冊ほど入っている(漫画も含めてだけど)。物理本は1,000冊弱にはなったのじゃないだろうか。で、買い直したのは、先日「百年の孤独」の100分の解説だったかで、大江健三郎や筒井康隆に影響を与えたとことを知ったのである。実は「百年の孤独」は1967年の出版で、私が生まれる前だ。ああ、そんなに古い作品であったのか、というのと大江健三郎(たぶん、万延元年のフットボールか燃え上がる木あたり)に影響を与えたとか、筒井康隆(たぶん、バブリング創成期とか)に影響を与えたとかという話になると、もう一回読んでみないとあかんだろうということになる。そうなると井上ひさしの「吉里吉里人」もそうじゃないだろうか、と思う訳で。で、まだ、「百年の孤独」は読んでいないのだが。

筒井康隆の初期作品に「東海道戦争」(1965年)がある。戦争を眺めるというパターンなのだけど、「銀河鉄道999」(1977年)にも戦争を眺めて食事をするシーンがある。松本零士は筒井康隆の5つぐらい下になるが、ほぼ同世代といってよいだろう。筒井康隆が90歳で存命なわけだが、星新一、小松左京、藤子不二雄、手塚治虫、とこのあたりの SF 世代はみな鬼籍に入っていしまっている。まあ、そういう意味では、夢野久作とか沼正三とか押川春浪なんかは、さらに年上なのだけど。そういう SF の技法に沿った形で描けるのは筒井康隆しか残っていないと言える。

ただし、「朝のガスパール」や「ビアンカ・オーバースタディ」のような書き方、さらに「モナドの領域」が現在の SF 小説(ラノベも含めて)にない訳ではない。むしろ、異世界転生ものだったり、ゲーム世界の拡張であったりするストーリーはそういう「メタ」的な視点が多いに含まれているし、それを知っていることが読者/視聴者の前提知識であったりする。例えば、涼宮ハルヒシリーズであったり、Reゼロであったり、SSSS.GRIDMANであったり、このすばであったり。主人公は意図的にメタ世界を意識している。もちろん、特別な能力があったりなかったりするわけだが、そういう現実的な世界とは別の世界に居ることを前知識として知っているという仮想世界、という読者との申し合わせは済んでいる状態になる。そのあたりは、「朝のガスパール」の連載時点でも、漫画の中に作者が登場したり(Dr.スランプとか、ブラック・ジャックとか)するシーンもあり、駒からはみ出したりするシーンがある。もちろん、そこを小説/漫画内に組み込み始めたは、果たして「朝のガスパール」だったのか、それともそれ以前に漫画があったのかは定かではない。

メタ空間という意味では、松本零士の銀河鉄道999もメタ世界であり、ハーロックやエメラルダスの世界と繋がっている。ラノベの小説でもあっちの主人公がこっちの小説にちょっとだけ出てきたりする。そういう仕掛けも読者にも既におなじみになっていて、みな了解の域に達している。

改めて筒井康隆が凄いのは、このメタ世界の小説をいくつも発表しているところだ。シリーズもので一本だけ書くのではなく、思いつく限りたくさん書く。これが凄い。

そうだな。また、短編を書く練習を再開してもいいかもしれない。

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