moonlight mile 第4巻におけるハーモニーの話を少し

「のだめ開発プロセス」を考えるにあたって、風呂で読んでいたのが、これ。いや、正確には目指して読んでいたわけではないのだけど、目指すものに出会えるという幸運(正確には、「気になっていることだから、目の前にあるものに気づくという現象なんだが)に巡り合うという話を少し。

IT業界に入ると、最新技術への好奇心(僻地探索というかエリート意識とかそういうものも含む)と、ビジネス的にお金周辺のところに悶絶することになるのだが…う~ん、「社畜でありつつも楽しいIT土方」というブログの文言を見て、「人より頭がいいけど、ほどよく働いて程よく給料を貰う公務員の人生」(この人は一般的な公務員だったよ)を思い出してみたりします。IT業界にいると、google とか microsoft とか apple とか facebook のように一発当ててやろう気分の場合もあれば、経済的にはどうでもいいけど兎に角楽しいプログラミング(あるいは巨大プロジェクトを扱うというのも含めて)をしたいという場合もある。その感覚は、交互に襲ってくるのか、それとも片方をあきらめるのか、ということなのですが…数年前から、いくつかのIT系の勉強会から離れてしまっている(今は.NETラボぐらいしか出てない)ので、現状のソフトウェア界隈のモチベーションがどんなのか分かりかねるのですが、ひとまず、twitter で追っている限りは、「世代が違うなぁ」というほどには個々に盛んなようです。

さて、前置きはそれくらいにして、ちょっとハーモニーの話。

ソフトウェア開発プロセスに、建築の比喩を持ち込むのと同じく、音楽の比喩も結構用いられます。オーケストラという比喩や、ハーモニーという比喩もそうです。現実の泥臭い部分(現実が現実であるという部分)を抜きにして、仲間意識なりグループ意識を持ち込むことがあります。ただ先に書いた通り、「現実が現実である部分」があって、それは、上司との関係であったり、納期であったり、顧客との交渉であったり、会社内の組織としてのITプロジェクトと、社外に接することが多いITプロジェクトとは様相が全く違っているわけです。そのあたりを、一緒に扱ってしまうのはどうかなぁ、と常々思っていて、結局のところ「アジャイル」自体も括弧付きに見えてしまったりするのです。

…が、最近思い直したのですが、今の現実に引きずられなければいけないことは全くなく(全くでもないんだが)、自分なりのまだ見ぬ現実を作るのもありかなぁと思ったりしております。それは「幻想」よりも「妄想」に近いことは承知しているのですが、「妄想」すら許されれない現実というのもちょっと嫌かなぁと。つまりは、社会的にスライドするということですよ。

ソフトウェア開発というのは、実は、ひとりで開発もできるという点で比較的漫画家や小説家に近いところがあります、とマスダは結論付けます。と同時に、チーム開発なり分業をするという点で、漫画家やアニメーションと似たところがあります、とマスダは続けます。他の現実とは違うところで、新しい現実(というか社会現象)を構築することは、実は漫画やアニメーションやオーケストラと似たようなところもあり、かつ、「個人のモチベーションに依る」という手法も取れる(当然、個人のモチベーションに依らないという方法もある)、ことも似ています、とマスダはマスダは更に議論を拡げてみたり。

このことを踏まえると、実は、ウォーターフォールなりアジャイルなりという開発プロセスを、別の軸(別の平面という意味で)で見ることもアリで、その中に「ハーモニー」という軸や、「オーケストレーション」(コンダクターや、プレイヤー、ソリスト、協奏曲などなど)のメタファを含めて思考実験するもありなのでしょう。それは、直接的な「ハーモニー」を求めるわけではないけれど、一種シミュレーション的な思考実験という範囲で、ということです。社会の縁の人間としては、あまり現実的なように思えない時もあるのですが、いやいや、軸自体(次元自体)が異なるので、そのあたりは未来に託すとことなのかもしれまんせん。

ハーモニーというのは「協調性」という言葉で表されるので、時において既存の社会/集団に対する協調性を問われることも多いのですが、実は、強烈な個性と強烈な個性があわさるところに生まれるものも「協調性」というものであり、それこそが実はハーモニーの目指すところではないか、と結論づけるわけなんだにゃぁ。わかるかにゃぁ。絶対的な個性というものは、相対的な個性とは違うところにもあるんです、ぎゃぽー。とか。そんな訳で「ハーモニー」なんですよッ!!!

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