アリの時間とヒトの時間

一説で動物の心臓の鼓動は生涯でおおむね10億回と決まっているらしい。象の鼓動は30回/分なので寿命70年として約11億回となる。ハツカネズミの鼓動は600回/分なので寿命2年として約6億回となる。ネズミのほうが鼓動が早い分だけ象よりも早く死んでしまうという説だ。これは心筋細胞の寿命に関係しているらしい。心筋細胞は分裂しないので、心筋細胞が死んでしまうと止まってしまう。早く動けば早く死ぬ、遅く動けば遅く死ぬ。赤信号を慌てて渡る人の死亡率は、青信号をゆっくりと待つ人よりも高いだろう。それと似ている。違うかもしれないが。

心臓の鼓動が血が全身にめぐる。脳細胞にも血液が送られる。別な一説では冬眠中の変えるはできるだけ鼓動を抑えて体内の新陳代謝を抑える。寒い冬の間に冷たい土の中に隠れて過ごす。その間に蛙は何を考えるのであろうか。土の中では暇ではないのか、新しい春の息吹を待ち遠しく感じるのだろうか、それとも長い眠りについて春の夢を見るのだろうか。と想像してみるものの、先の鼓動の話を聞くと、頭に血がまわっていない状態の蛙は何も考えていない。まさしく、眠っているし夢もみない。時間が飛んでいるという点で、まさしく冬眠しているのである。きっと多分、そうだろう。

アリの寿命は1ヶ月から3ヶ月程度である。緩く血が巡れば冬眠して頭の働きが遅くなるのであれば、鼓動を早くして血のめぐりを浴すれば、それは、時間が圧縮されて流れているといてもよい。ヒトが死に至るまさにその時に走馬灯をみるように、アリは常に走馬灯レベルの脳の働きをしているのかもしれない。ヒトの寿命が80年とすれば、アリの寿命は100分の1以下である。逆に、ヒトもアリも同じ鼓動の数を経て死に至るならば、100倍以上の感覚でアリは暮らしているといっても良いだろう。

アリの一日は長い。地球が回転する同じ24時間であったとしても、ヒトよりも体感的に2400時間あるといってもよい。歩く速度も、考える速度も、食事をとる速度も、体感で100倍のスピードである。ヒトがたった1秒であると思っているとき、アリにとって100秒の時間がある。100秒あれば、突如上から降ってくる巨大な靴底を避けることも用意だろう。遠くからゆっくりと迫ってくる靴底は、まるで天が落ちてくるように見える。高層ビルの上にでてきた、平たく少しでこぼこの黒い物体に、ヒトはゆっくりと回避行動をとる。迫ってくるのはわかる。天蓋につるされた星の隙間がが割れて、ゆっくりと大きな天井が落ちてくるのだ。落下するにも、100秒の時間がある。時間はそれほど長い。1秒であり、ほぼ一瞬の時間ではない。何かを判断し、何かを行動するには十分な時間がある。1秒、2秒、3秒と秒読みをする将棋の立ち合い人のように、時間がゆっくりと進む。しかし確実に迫ってくる。黒い天蓋である。

普段は何もない青い空が広がっている。時には大きな雨粒が落ちてくることもあるが、それも100秒で振ってくると思えば、それほど避けるのは難しくはない。まわりを埋められて、洪水の時に逃げ場を失った二階の避難民のように、どこにも行けなくなったらばお仕舞になろうというものだが、注意深く天を眺めて落ちてくるものを避けて行けば、さほどぶつかるものではない。もちろん、100秒もの間のんびりと過ごしている不注意極まりないヒトがいれば、高速道路の向こうからゆっくりと走ってくるトラックに正面衝突してしまうだろう。でも、どうだ。100秒の余裕があれば、正面衝突は避けられるだろう。自動運転の AI のようにヒトが振舞うと思えばよい。たまに、落とし穴に落ちてしまう自動運転の車もいるかもしれないが、それは判断ミスだ。突如と空いた穴や真上に配置された UFO を避けることはできないだろう。それはヒトでも AI 同じだ。アリも同じだろう。

地球の回転も非常に遅い。100倍ぐらい遅い。1日の長さが100倍にでもなれば、1日を基準に食事をとるのは難しくなる。1日3回だった食事が、300食食べないといけないことになる。朝昼晩で余良かった食事が朝朝朝朝朝朝朝朝と33回続き、昼昼昼昼昼昼昼昼昼と33回続き、晩晩晩晩晩晩晩晩と33回続く。そしてようやく夜食が1回となって無事1日が終わることになるだろう。睡眠時間は8時間が理想的ではあるが、1日が2400時間となっているんで、ほんのちょっとだけ眠ればよいことになる。なんて便利なんだ。いや、眠る時間が少なくなって寝ることが楽しみなヒトには残念な結果になってしまうかもしれない。そうだ、夜の生活を主にしている人は100分の1の時間で一瞬になってしまう。夜の職業も一瞬だ。じつに味気ない生活になってしまうではないか。ベッドに入った入ったと思ったら一瞬で出てしまうのだ。早いにも限度があるだろう。何が早いのかわからないが、アリも同じだろう。

待て、その分だけ昼が非常に長い。普段よりも100倍の時間の昼がある。朝起きてから、昼間の時間が非常に長い。夏休みの暑い時期に午前中のほうが涼しいから宿題をやったほうがいい、と言われるまでもなく、宿題が終わってしまう。ひょっとすると午前中のうちに40日間の夏休みの宿題が終わってしまうかもしれない。万々歳だ。1日でおわりそうだぞ。そのあたは十分遊べばいい。宿題が終わったら、であるが、いやいや午前中はまだまだあるのだ。宿題だけじゃなく午前中の書類仕事も終えてしまうだろう。洗濯物も午前中で取り込めるぐらい乾いてしまう。あっという間だ。実に効率がよい日々がつづくだろう。いや、日々が続くわけではない。長い1日が続くのだ、延々という訳ではないが100倍もあれば、100倍ぐらい時間を有効につかえる。ちょっとぐらいサボったって大丈夫だ。あと10時間ぐらい遊んだって、残り90時間ぐらいあるわけだから、昼までに終わるだろう。なんてすばらしい。おそらくアリも同じだろう。

そうこうしていうちに熱い昼がやってくる。夏の朝は涼しいいが、夏の昼は暑い。涼しい午前中が過ぎて暑い昼がやってくるわけだが、長く苦しい昼にはどう過ごすのがよいだろうか。命に危険が及ぶような暑さが100倍続くのだ。夏日が100日続くと思っていい。干上がってしまう。外に出るのは危険だ。今年の真夏日は長く続いた。38度が連続で続いていて、35度になると「ちょっと涼しいのでは?」と訳のわからない感覚に襲われたものだ。でも、100倍に間延びした夏はちょっと大変だ。太陽は常に輝いている。まるで三体の三連星の太陽のように不規則に動いているのだ。地上が干上がる。干物になったヒトはどうするだろう。水を書ければ後に元に戻るかもしれない。ヒトの進化は素晴らしい。冬眠ができる蛙のように、乾燥に耐えられるヒトも進化の恩恵にあずかれるだろう。ダイオウクソムシのように、体内の水分を失っても、また水を吸収すれば元に戻るようなヒトが現れるかもしれない。そう、アリも同じだ。

なんとか暑い昼を乗り切った。だんだんと太陽が傾いてくる。だんだんとと言うが、100倍に間延びした太陽はちっとも地上には落ちない。いや、もともと地上には落ちないので、地平線に隠れるところまで落ちて来ないのだ。太陽の薄暮は長く続く。地球の白夜のように薄曇りの中に太陽が遠く輝いている。昼のような暑い直射日光ではない。たくさんの空気の層を進んでくる光の線は、赤みがかっている。夕焼けのように常に赤い時間が続く。続く。続く。100倍ぐらい続くのだ。なんて、すらばらしい。人類の薄暮がこんなにも穏やかだったとは思えない。もう少しすれば、全てが闇の中に消えてしまう。寒い夜がやってくる。寒い夜も100倍に間延びしてやってくる。作物は育ったない。食べるものもなくなる。雪が降るかもしれない。秋のうちにもうちょっと働けばよかった、そう思うだろう。アリも同じだろう。

キリギリス「アリさん、アリさん、冬が来るよ。冬支度はもう済んだの?」

【おわり】