情報の濃度勾配と非不変性の話

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本当は昨日の夜にざっくりと説明しようと思ったのですが、忘れてたので昼に30分ほど。

経済の仕組みとして商社/物流の場合には「濃度勾配」=「安く仕入れて高く売る」のが基本なので、そのあたりの言及は別として(彼のほうが詳しいだろうし)、具体的に「情報」の話に絞ります。

で、議論を始める前に「情報とはなんぞや?」というのを定義しないといけないのだけど、情報工学的に言えば「とある現象が整理された状態」を情報とみなしています。この「整理された状態」ってのが曲者で、観察者の主観が入っています。なので、現象そのものは「情報」とはみなさないのですよ。昨今のビックデータみたいなのは「現象そのもの」ではないか?と思われるでしょうが、とある現象から生データを保存している状態で「整理した状態」であるし、またデータベースの作りの状態で「整理された状態」であり、厳密に言えば現象そのものではありません。なので、「現象そのもの」を扱うのは非常に難しいのではありますが…実は、現象そのもの自体を観察することはできないので、このあたりは不要な議論だったりします。

ええ、みなさんご存じの通りッ!!!、量子力学の範疇では位置とエネルギー(運動量)は同時に特定できません。マクロ的な視点で言えば、その位置にありその運動ありという2視点で特定できるように見えますが、実はミクロ視点の誤差においては確実ではありません。まあ、そこまで数値を突き詰めることがないので「誤差」だったりするのですが、それこそが、不確定性の部分と確率の部分になるのですよ。なので、微小な範囲で不確定であるものが、全体においてどのように影響するか。それは「誤差」以上に影響するのか?という問題があって、一見、目に見える物理法則は量子力学を含んでいないように見えますが、頭の中で考える電磁的なパイプ(名を失念)に電気が流れるとき(電子が伝播するとき)には、量子力学的な不確定さが発揮されます。これゆえに、この微小な電子信号で左右される思考自体も、不確定さの範疇になります。つまり、Aの現象を同じ条件下で受け取ったとしても、反応は、AかもしれずBかもしれず、ということです。ひとつの電子量で判断を行う場合には、量子力的な揺らぎを大きく含みますが、大抵の場合はそれなりに大きな電子量が使われるので、アナログ的にどちらかの確率が高くになります。このあたりファインマンの光の直線性に関する考察を読むとわかるのですが、因果関係が逆転しているように見えてきます。未来があって過去が決定する、というような感じですね。

話が大幅にずれてきていますが、元に戻すと「現象そのもの」は「情報」としてイコールにならない、という前提があります。あるいは、情報を「現象そのもの」として捉えようとしても、それは無理、ということですね。もう少し数学的に言えば、1+2=3の場合、「1+2」と「3」は数値的にはイコールですが、復元するときの情報量が違います。これは情報の圧縮とか不可逆性とかにも関係しますが、現象自体はそのまま未来に残すことはできないので、「1+2」のなかの「+」という演算子を、結果が「3」であることに集約させてしまいます。これはこれで便利なのですが、時として「+」が必要な時がありますよね。一体、何と何を足したら「3」になったのか?ということが問われるシーンがあります。これらのシーンに対しては未来に位置しているにも関わらず、過去に対して「+」を要求するという時間の逆行があります。時間の流れが不変(実は、ファインマンによって、逆行することが証明されているけど…というか、逆行の再定義というところか)と考えるならば、「3」という結果からは「1+2」という原因の部分は類推できません。しかし、物事は「3」で十分だし、もともと類推できないのだから、「1+2」という原因自体が不要、ということです。そんな訳で、時間が進むに従って、原因は次々と捨てられていき、新しい原因が次々と作られているということになります。

さて、この時間の逆行や原因が捨てられる、という視点は、ひとりの観察者の視点ですね。なので、複数の観察者が同じ現象を観察したときには、それぞれの視点により「情報」を蓄積します。同じ現象(と思われるもの。これが同じであるとは証明できない)に対して、同じ情報を得られる場合は、同じ現象から類推している、という結論が得られます。演繹法ですね。ですが、ここで気を付けたいのは、AとBという二人の観察者が、同じ現象を見て「情報」を得たとしても、それぞれの情報はの違いは「それぞれの情報を突き合わせたとき」にしか違いがわかりません。これは、情報を比較するという情報自体が、情報を比較という現象そのものとは違うという意味です。通常、情報自体は光の速度で伝播しますが(光の速度以上にならないのは、物理的な影響の最速が光だから、というためです…が、量子力学的に時間の逆行と不確定性を含めると、光よりも早く伝播する可能性はあります)、これをAとBが持つ「情報」自体が、物理的に離れていれば同時には無関係になる、影響しえないという「光の円錐」あるいは「情報/影響の円錐」になります。この円錐同士が重なるときだけ、それぞれの情報は交差します。逆に言えば、それ以外のところでは、全く影響しないし、他の情報を得ること自体が無意味である、という結論になります。

情報の円錐が重ならなければ情報として有効でない、ということと、数々の過去の原因が捨てられてつ新しい原因が作られ、それの切り取りが「情報」である、ということを合わせると、情報自体が「非不変」であることがわかります。また、円錐の重なりが観察者それぞれ(情報の受給者それぞれ)に与えられるので、何かの情報を得る人と何かの情報を得ない人が存在し、そこには濃度勾配があることがわかります。まあ、証明しなくても「情弱」という言われ方もするし、英語が読めなければ英語論文から情報を得る機会はすくなくなるだろうし、逆に言えば日本語ができなければ日本の情報を得る機会は少ないってことです。

で、先のビックデータのように情報は必ず「媒体」に依存します。データベースのテーブル構造もそうだし、記憶領域の制約もあります。第一にモデルを作ったときに、情報を整理するときに重要な要素が欠損しているかもしれません。もちろん、欠損していないようにテーブルは作る訳ですが、欠損するテーブルを敢えて作ることもできますよね。つまりは、未来は完全に予知できないのです。仮に欠損してしまったデータを「事象そのもの」として判断をし、なんらかの基準で「情報」を取り出したときに、それらの「情報」は本来の事実を表しているかどうか?の判断は難しいところです。多少の欠損ならば、確率的に大まかな予想があたっているかもしれませんが、微小領域では間違っているかもしれません。複雑系の畳み込み理論ってことです。畳み込まれたものは元に戻せませんし、逆に微小な範囲が大きな次の現象に影響を与えることがあります。これは先の脳内の量子力学的な性質と同じです。

こうなると「情報」の曖昧さ、正確性が問題になるのですが、大域においては問題は少ないのです。大抵の動きはニュートンの物理法則で事足りるように、人の動きと考えの大域においては似たようなものです。それを行動原理と言ったり行動経済学と言ったりします。大抵の場合「情報」を何等かの判断のものとにするために必要とされているので、「正しい情報」と「膨大な情報」を人は欲します…が、先に言った通り、情報の正確性というのは判断がつかないものです。これを回避するひとつの手段としては、観察者を複数持ち、複数の観察者から得られる情報を総合して、自らの情報として捉えることです。できれば、それぞれの情報供給元は、おのおの情報の円錐の外にある人がよいでしょう。これらの複数の情報から、ひとつの確率の高いもの次に確率の高いものをピックアップします。そのあたりは「非効率」なので、人はひとつの情報元を自分の情報として据え置きます。これは、生物手学的に「効率的」な方法なので、命にかかわらないこと(あるいは、趣味なのでどーでもいいようなこと)はそれはそれでいいのですが、まあ、お金や生命に関わることは、別視点を用意したほうがいいですよね。それを「情報収集のためのアンテナ」と呼ぶこともあるのですが、先に示した通り情報の円錐内にあるものだけを集めてもダメです、ってことです。

逆に言えば、情報源を少なめにする(厳選する)と、情報を整理する側(=自分の頭)に余裕ができるので生活が楽になります。いやいや、ジャーナリストという情報の海を泳ぐ方もいらっしゃるので、職業的には不可能な場合もあるのでアレですが、私の場合 TV を観なくなってからかなり情報の流入は制限されて、他の余裕ができています。とはいえ、

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えええ?それってどういうこと?いやいや、私、ドコモユーザーでもないし、どーでもいいのですが、他の方の反応が気になるところです。

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