段ドリーの奇妙なプロジェクト 第04段

## 第04段

「それは、『紙飛行機』を分解しているだけじゃないですか?」

「ご名答、そう、これは『紙飛行機』の製作を分解しているものです」

非1番が勢いよく答える。ドリーにとっては、当たっていいものなのか悪いものなのか分からず、むしろ当たってないほうがいいのだが、返す言葉もなく苦笑いをするだけだった。1番に問い合わせたのに、非1番が答えることなんて日常茶飯事だ。なにせ、このプロジェクトでは1番も非1番も赤いシャツと赤いズボンを着ていて見分けがつかないからだ。区別ができるとすれば背番号しかない。

「ソフトウェア開発というものは、まずは要件定義から始まって、概要設計、外部設計、内部設計、詳細設計を行い、コーディング、そして単体テスト、結合テスト、システムテストと続くことは、ご存じですね」

「ええ、はい」

「いわゆる、V字モデルというか、V作戦というか、V字回復というものです。要件定義からはじまって各種の設計をしているうちにだんだんと落ち込んでしまってしまい、混沌とした中でコードを書いているうちに、単体テストから再び復活して水中から顔が出せるという潜水艦のような仕組みです。紙飛行機は潜水艦のように水に潜ってしまうと、紙が水にぬれて進まなくなってしまうのですが、そこは例えなので大丈夫です。例え話はご存じですよね」

「えええ、ええ、まあ・・・」

「例え話をすると、その中に出てくる登場人物があたかも現実化のように思えてきて、テレビの中の登場人物なんだけど、それが真実のように思えてきて、感動してしまい涙を流し共感をしてしまう現象は『トゥルーマン・ショー』でおなじみなのですが、実はそれを演じているジム・キャリーは俳優なのです。テレビを見ている人は彼が俳優とは知りません。映画を見ている人は知っています。映画を見ている人はテレビを見ている人を見ているわけですが、同時にテレビの中で動いているジム・キャリーも見ているわけです。いくら感情移入をしたって映画館をでてしまえば消え去ってしまう銀幕ですから、その中にあるものは架空の俳優に決まっています。でも、現実にジム・キャリーは俳優なのですから、そこれ演じている物語はやっぱり架空でしかないのです。現実の俳優が架空の主人公を演じていて、さらに架空の主人公は映画の中の観客にとっては現実にいる人なわけで、けれども架空の主人公にとってまわりの家具や家や友人は映画のセットであって、それは実際の俳優としてのジム・キャリーにとっても架空の映画のセットなわけですね。つまりは、テレビの中にいるトゥルーマンは、現実から非現実、さらに非現実から現実に至るという反転を得て、現実のジム・キャリーそのものになってしまうんですね」

「はあ、ええ・・・」

「そのあたりのたとえ話は脇において、別のたとえ話をしましょう」

「えええ???」

「例えば話は、物事を簡単に理解するための手助けみたいなものです。現実は複雑です。現実は悲壮です。現実は無感情なものです。ひとりの人の感情とは関係なく現実は動いていくし、現実は変化していきます。いえ、変化しているように見えますが、将来的に見ると1本の確実な道筋しかないのです。だから、それぞれの人が現実を見て、悲壮に変化しているように考えたとしても、それは確実に1つの現実でしかないのだから、悲壮なり楽観なり優雅なりだまし討ちなり討ち入りなり技あり1本という訳ではないのです。ひとつの現実をみて、さまざまな人がさまざまな感想を述べているだけなのです。だから、複数の複雑の絡み合ってしまいそうで、実はちっとも交わらないゆがんだ関係を整理するためにたんと話がひつようとなるのです。たとえ話は、花咲か爺さんでも桃太郎でもかぐや姫でもかまいません。どの昔話をとってもかまいません。現実に花咲か爺さんは存在しません。過去にも未来にも存在しません。当然、今ある時空では存在しないのです。ですが、『花咲か爺さん』と言ったとき、それは花咲か婆さんでもなく花咲か姉さんでもなく花咲か兄さんでもありません。蛇足を言えば、花咲か赤ちゃんでもありません。親指がパパで人差し指がママだとしたら、小指がない人はどう思うでしょうか。そう、確実に子供がいない人のことを示すのです。このように、たとえ話は人々の見ている複雑な現実を簡略化してひとつにまとめる効果があります。例えるならば、生成AIで使われる10億以上のパラメータを縮退させて1つか2つにしてしまうようなものです。1つか2つならば簡単です。2つであるならば、当てずっぽうでいっても二分の1の確率であたるのです。センター試験ならば四択ですから、25%の確率です。2割5分ですね。指名打者になると3割位は欲しいところですが、2割5分でも我慢ができるところです。だから、2つぐらいのほうがいいのです。5割の確率で正解を引きあてることができますからね。ちなみに、占い師が10人に適当なことを言っても、そのうち1人が『当たった、これは凄い、預言者だ!』と言えば、経営は成り立つのです。素晴らしい事ですよね」

「ああ、え?」

「ね、素晴らしいですよね」

1番も畳みかけるようにドリーに話しかけるのであった。

余談であるが、このような本当のような嘘のような嘘のような嘘を、だらだと書くのは生成AIの得意とするところ・・・と思われるのだが、さてどうだろうか。文章の助詞や副詞や女子力をつなげたところで、内容に意味はないのだが、その区切り区切りのところ一貫性があるように聞こえてしまうのが『文法』の不思議なところである。つまりは、文法に則っていれば、説得力があるという幻覚を堪能してしまうのだ、甘い汁を知ってしまうのだ、けしからん、実にけしからん。

「で、話を元に戻しましょう」

トイレットペーパーをぐるぐると巻き戻すように1番は、話を巻き戻した。いったん引きずり出してしまったトイレットペーパーを巻き戻してしまったとしても、もとのきっちりとした巻物に戻るわけではない。かなりごわごわした、膨らんだ感じになってしまう。それもで巻き戻したと言えるだろう。1番の話の巻き戻し方も同じようなものだった。

「『紙飛行機』の『紙』について順番にお話しをしましょう。まずはこの『紙』、先頭にくっついています。語尾にくっついたら『飛行機紙』になってしまいますよね。まるで『飛行機神』ですから、墜落しあにあるいは墜落する神様みたいなものになってしまいます。『神飛行機」の場合は、よく飛ぶ紙飛行機を想像できるので、この『紙』の位置は重要ですし、さらに「かみ」という音から『髪』を示すこともできるわけですから、頭の部分にあったほうがいいのです。足の裏にあったら、ちょっとごわごわして歩きづらいですよね」

「ほら、ヒバゴンの足裏にも毛は生えていませんからね。猫の肉球みたいなものです。可愛いものですよね」

可愛いかどうかは別として、足裏の髪の毛を想像してちょっと気持ち悪くなってしまうドリーであった。

「ソフトウェア開発において『紙』といえば、設計書です。要求文書です。契約書です。つまりは『書』のことですね。紙飛行機プロジェクトでも『書』は大切なので、最初に説明しておかねばならないかなと思った次第です。書というのは、つまりは文書管理のことです。品質管理システムのISO9000のことですね。ドリーさんはご存じですか?」

「ええ、文書管理については一応」

「一応・・・一応では困るのですが」

「ああ、一応じゃなくて、完全に大丈夫です。品質管理システムにはプロジェクトの段取りの重要な手順になっていますから」

「「・・・・」」

いや、また、何か変なことを言ったのだろうか、とドリーは思った。このプロジェクト、実に落とし穴が多すぎるのだが、いったいどこが落とし穴なのかドリーには解りかねていた。プロジェクト全体が大きな落とし穴のような気もするし、底なし沼のようなきもする。でも、落とし穴自体が巨大であったならば、もはや穴の中に住んで入ればそれは平地と同様ではないだろうか。『火の鳥(黎明編)』に出てくる窪地で生活するシーンがある。窪地に生えている草を食べ、窪地で結婚をし、窪地で子を育てる。すでにそこは生活の場なのだから、落とし穴とは違うのではないだろうか。他にも『砂の女』では蟻地獄のように砂の窪地に住んで配偶者を待っている。実に様々な落とし穴があり、生活感がある。

「いえいえ、完全である必要はありません。完全という証明は難しいものですから。ただ、一応では困るので、二応だったり三応、慶応だったりでもいいですが」

「ああ、じゃあ、慶応で」

「なるほど、慶応ぐらい理解できているのならば大丈夫です」

早稲田では駄目なのだろうか?とふとドリーは疑問を持つ、が口には出さないことにする。

「それで、『紙』というのは『書』のことです。『書』は紙に書き記したものを刺しますから、冊子になっている必要があります。しかし、最近では「電子文書」という形もあるので、必ずしも『紙』である必要はありません。文書という形で、なんらかの形で整理されていればよいというものになっています」

「例えば、昔の記録紙として木簡がありますよね」

突然、1番でも非1番でもない、ええと、1番と非1番の間の否1番が語り出した。1番と非1番というと相反の関係にあるように思えたが、実はその隙間があったということだ。番号を確認すればよいのだが、こっちを向いているので背中が見えない。向う側に鏡もない。定番の「近い近い近い近い・・・です」とでも言いたくなくぐらい近くに寄ってくるのだけけど、多分Aボタンで投げたとしてもすぐに近くに寄ってくると思う。カスタムしてなければ多分Aボタン。決してBボタンの笛で呼びたい相手ではない。

「木で作られた木簡ですね。竹で作った場合は竹簡、総称を簡牘という訳ですが、パピルスのような草からできた紙とは違い、木簡や竹簡の利点は表面を削って何回か使えるところです。そういう意味では書き換え可能な石板や粘土板と同じですね。掘り込みが失敗したら表面を削ってもう一度書き換えればよいのです。墓石も同じ。失敗しても表面を削ってしまってもう一度掘ればいいのです。将棋盤も同じですよね。線を間違えてしまった場合は、薄く削って線を引き直す。あたかも、現在のHDDやSSDと似た感じで書き替え可能なわけですね。あるい意味ROMじゃなくてRAMだと言えます。ただし、常に書き換え可能という訳ではなく、フラッシュICのように一旦紫外線を当てて消さないと駄目というひと手間があります。そういうひと手間を掛けて現在の記録を消す、そして上書きをするというところの木簡は成立しているのです」

「はあ・・・」

「記録的にはガラスも同じです。ガラス製の板にデータを書き込んでおいて、数万年後の未来に送るという案もありました。HDDだと磁気的に揮発してしまうし、フラッシュメモリも消えてしまう。CDやDVDでも光電子のあたり具合やプラスティックという媒体上、朽ちて果てる可能性もが高いのです。そういう意味ではガラス質は割れない限り、未来にデータを残すことが可能ですよね。また、レコードのように使うことを諮詢しているのは『Dr.STONE』にあるところです。まあ、『Dr.STONE』自体が古い漫画ですがね」

Dr.STONEがちょっと前までのアニメだということは知っているが「古い漫画」というほど古いものかどうかはドリーにはわからなかった。だって、ホコタテ星人だし、とドリーは思った。

「木簡が書き換え可能、さらに言えば、数千年前の木簡が現在でも読める形で残っているということから、今後同じような形で木簡や竹簡を残したとしても数千年後に残る可能性は高い訳です。地球の組成上、木簡に使っていた木の質が変わっている可能性も否めませんが、白亜紀のシダ類を使った木簡ではないのですから、数千年位ならば木の質が変わるとは思えません。まあ、東京都の杉の木ならば変わってそうな気もしますが、大体において木の寿命のほうが、地球人よりも長いので大丈夫でしょう。ああ、大王具足蟲ならばわかりませんが」

「・・・・」

「話を元に戻しましょう」

どこから話が外れてしまって、どこに戻っていくのかドリーには解らなかったが、どうやら否1番さんにはわかっているようだ。

「表面を削ってしまえば数秒で書き換え可能になってしまう木簡、その後、手を加えなければ数千年もデータを保ってくれる木簡というものがあります。これは非常に安価であり経済的な記録媒体です。データを保持するのに電力がいるわけでもなく、分子的な分解もほとんどありません。これ木という植物の細胞壁が動物のような細胞膜とは違って、生物的に死んでも壁として残るという特徴にあるでしょう。まあ、地球人にはミイラというものがあるので、ミイラに記録をする、いやミイラから記録を得るということも大いにあるわけですが」

そして、否1番がうしろから、木簡・・・らしきものを取り出した。木簡のなのか、別のプラスティックの板なのかわからないが、さっきから木簡と言っているぐらいだから木簡なのだろう。本物の木簡は初めてみるが。

「見てください。この木簡には本プロジェクトの要件定義がびっしりと書き込まれています。データにして、数ギガバイトあります。要件定義が数ギガバイトもあるのもおかしいような気もしますが、木簡に書き込まれた要件定義と言うこと自体が画期的なので勘弁してください。ここで便利なのは、木簡は削ってしまい上から墨で書き換えることもできるけど、いったん保存してしまえば数千年も持つとうことです。この木簡を紙飛行機の翼の部分に使います。紙飛行機なのに木を使うなんて、と思うかもしれませんが、最初の話を覚えていますか?」

「いいえ・・・」

「ああ、話が回りくどくてすみません。3つの物事しか覚えていられないスタンドに掛かっているわけじゃあないのに忘れているのはどうかとは思うのですが、ちょっとした健忘症に掛かっているのかもしれませんね。いや、私は気にしないから大丈夫です。それは貴方が気にするところです。私はペンではありません。あなたもペンではありませんね」

「はい・・・」

「木という材料を使っていますが、木簡は記録媒体として優秀です。記録媒体という者はISO9000の品質管理システムでは、『紙』と同等にあつかってよいものです。むしろ、紙として印刷されているものよりも、場合によってはインクが劣化して消えてしまう感熱紙のレシートよりも、電子的に保存されている領収書のほうが有効であったりします。それこそインボイスですね。国会議員はマイナンバーカードをもって記録をつけておくべきです。改竄ができないように。つまり、データを記録できておける『紙』相当ものがあり、その後に何十年も残して置けること(ただし、領収書は10年という期限があり、ひょっとすると「クレジットカード引き落とし」でも十分な可能性はあるのですが)、そして検索性があれば『紙』としての意義をなせるのです。いや、むしろ、もともとの紙では駄目で、むしろ電子的な検索ができる『紙』こそが紙たるという逆転に至っています。つまりは、記録用紙としての『紙』は、木簡でも代用が可能と言うことデス。『紙』ニアリーイコール木簡なわけです」

「ああ、ええと、つまり、紙飛行機の材料が木簡なわけですね」

「はい、そうです。実に意図が通じていますね」

木簡、確かに数千年はもつわけだけど、火事になったらどうなるんだろうか。そんな不安もあったのだが、あえても紙じゃなくて木簡で作らないといけない理由があるのだろうか?とドリーは疑問に思った。が、疑問に思ってもいけないような顔を否1番はしていた

「ニッコリ」

カテゴリー: 開発 パーマリンク

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