怒鳴り声が聞こえる教室/職場について

実は「とと姉ちゃん」をちらちら見ていて思ったんだが、Twitter には流れてこないし、それほど気にする人はいないのかなと思った。しかし、Twitterで拡散されたツイート「先生の怒る声が辛くてドキドキして苦しくなっちゃう子供が実際にいること」: 『それでも彼と未来をさがして』HSC母のblog が流れてきたので、エールを送っておこう。

学校の先生とか職場とかで「怒鳴る先生/上司」がいるときに、別の人が怒られていて自分には関係ないはずなのに胃が痛くなる。先に書かれているブログの内容のように「メンタルが弱い」と言われることがあって苦々しく思うのだが、実は感受性が弱い(凡庸)だから他人が怒鳴られているのに気にせず(あるいは、胃が痛くなるほど同化せず)、感受性が強いからこそ(相手への共感性が高いほど)自分が怒鳴られているように感じて、精神的に病んでしまうことがある。…というのは、なかなか理解されない。

HSC/HSP(Highly sensitive person)というのを初めて聞いたので、自閉症/アスペルガー/注意欠陥/多動症/サヴァン症候群との違いが、いまいち掴めていないかもしれないが、ハイリー・センシティブ・パーソン – Wikipedia を見る限り「生得的な特性」とあるので、遺伝系の話になりますよね。社交性が問われる内向的な性格とか、協調性のような社会的な適応性のような後天的なもの(例えば、オオカミに育てられた子供のように、社会的な活動を一切していないのであれば、社会的な活動に沿う行動はできないのだ。逆に、後天的に学ぶことが可能ってことになる)とは違って、生まれつき持っているもので変化しないものだ。勿論、生れつき持っているもの=気質だからといって、将来的に(大人になったときに)、それがマイナスに働くかプラスに働くかは別の話になる。さらっと HSC の話をいくつかみていくと、子供の頃のマイナス面を強調されているものが多いのだが、プラス面を強調することも可能だ。

怒鳴り声に鈍感になる

HSC な子の割合が 15~20% ってことになっているので、30人学級だと6人ぐらいいることになるよね。これだと「症候群」というよりも、単にグループとか分類の範疇になると思う。そうそう、民主主義的に多数決で投票を取ると少数派になるパターン。でも、徒党が組めるぐらいの人数がある。最近語られることの多いマイノリティ(≒少数派)はもっと数が少ない。5%以下ぐらいじゃないかな。30人学級で1人いるかいないかという確率になる。こうなると、学級内で「友達」を作ることが難しいので、意図的に保護しないとうまくいかない。

でもって、人口の8割が「怒鳴ってもok」という雰囲気の中にいると、教室なり職場なりで「怒鳴る」ことが日常的に行われていることを、単なる現象として捉えること(ああ、かわいそうだなと思う程度で、自分に降りかからないようにするとか、他山の石として参考にするとか、そういう意味で)ができるのだが、残りの2割は自分が怒られているように恐怖として感じる。8割の多数の人は「怒鳴り声」の多い職場/教室では、自分だけが怒られたときに「怒られた」というストレスを感じるわけだが、2割の人は「怒鳴り声」を聞くたびに、自分が怒鳴られているのと同等のストレスを感じるので、まあ、常に怒られているような教室/職場になるわけだ。そりゃ、それがストレスになって登校拒否になったり、職場に行くのが嫌になったりする。いわゆる、ブラックな職場というものがあるけど、それはまた別な話。一般的に「怒鳴り声」が少ないと思われる職場であっても、怒鳴り声のたびにストレスを感じれば、ブラックな職場ぐらいのストレスをその人は感じているのだ。

じゃあ、これの場合はどうするのか?というと、

  • 職場を教室を変える。
  • 「怒鳴り声」に鈍感になる。

実は、「とと姉ちゃん」の怒鳴り声を聴くたびに、私は嫌な感じがするので内容はともかくとして、怒鳴り声を許容している職場というのが嫌なんだが(それが朝ドラで放映されているのも嫌なんだが)、そういう場合は、テレビを消せばよい。あるいは、音を小さくするという手段をとる。簡単だ。見なければ自分に関係ないからストレスを感じなくなる。

テレビドラマの場合は「見ない」という手段が取れるが、実際の教室や職場だとこれはできない。教師は、怒鳴ることによって「叱る」ことの手段を行使しているのかもしれないし、8割の子供や親にとって(かつ教師も含む)「怒鳴る」ことがそれほどストレスに感じないのだから、まあ、直接、怒鳴ることはなくても、他の子を怒鳴ることもあるだろう。そもそも、怒鳴ってくださいという体育会系の親もいる(今だといないのかな?)もいるわけで、なかなか一方の主張を通すだけでは難しい。逆の立場になれば、いたずらっ子を怒鳴って懲らしめるというのは、サザエさんも一般に行われているし、社会的に認知されているものと考えられるでしょう?それは、日本的なものなのか、戸塚ヨットスクールみたいに限定されているものなのかは不明だが(だって、赤毛のアンにだって鞭で打たれるシーンはあるし、洋画のほうが「口論」というシーンは多い)、社会的な通念は別として、感受性の高い子(「過敏な子」と言い方ほうがいいと思う)にとって、その「過敏」さは他の人に理解されにくいところがある。ただし、この HSC の原因が「気質」にあるならば、両親のどちらかがその遺伝的形質を持っているということなので、片親が理解できればいいのですよ。つまり、父親の遺伝であれば、母親には理解しがたい現象かもしれないし、逆に母親の形質であれば父親には理解しがたい。遺伝だからね。

となると、社会的に取れる手段として「鈍感になる」というのがある。自閉症の例で、目に入る光が多く感じられるので、色の濃いサングラスをかける(ある色彩だけ遮蔽するとか自閉症専用のサングラスがある)という方法がある。これだけでも十分過ごしやすくなるそうだ。同じように「怒鳴り声」が多い環境の場合は、怒鳴り声に対して鈍感になるように、自分の側で防衛する方法を取る。

  • 怒鳴り声が聞こえたら、教室や職場を一時的に出る。
  • 別なことに集中する。あえて、楽しい絵を見るとか、漫画を読むとか。
  • 端的に耳をふさぐ。耳栓をする。

一般的な8割の人からみれば、他の人が「怒鳴られている」のだから、もうちょっと気を使ったらいいんじゃないかという不審な目で見られがちなんだが、いや、自分が怒鳴られているように感じるのだから防衛するしかないのだ。8割の人の鈍感さの対応の仕方では難しいので、別な対策をとるという方法になる。

私の場合、だいたいこれでマシになります。会議中でも誰かが怒鳴りだしたら、空気を読まずにトイレに出ることにしている。

ポジティブに HSC/HSP をとらえる

アスペルガー症候群と若干混ざってくるが、常に防衛側に回る必要はない。所詮「症候群」という全体主義的なカテゴリ分けの意味しかないので、個人として生活するならば、アクティブなものとして捉えることもできる。

アスペルガー症候群にも重いやつと軽いやつがあるので、いろいろなんだけど、他人に迎合しない利点(感情を理解する仕組みは一般の人とは違う)を利用して、多人数に迎合しない仕事とか発見が可能になる。HSP の場合は、世の中の2割がそうならば、職業の2割は HSP のほうが得な職業だということだ。社会的適合としてね。

ひとりで研究をするという意味で、医者とか芸術家とか漫画家とかプログラマとかがあげられているけど(IT業界の場合は、群衆なプログラマと個なプログラマがあるので、もちろん後者のほうね)、とある現象に「過敏」という癖を利用すると、品質管理とか文書チェック関係の細かい仕事を正しくやるという仕事にも向いている。宇宙飛行士もその範疇だと思うんだけど、協調性(相手を早い時期に許すという緩めな性格)と強烈な自我(競争率が高いからね)を両立しないといけないので、もうちょっと待ったほうがいいかな。「死」に対する危険を人より多く感じるので、工事現場とか建設現場とか工場のライン作業には向かない。安全第一の場合、注意喚起として大声を出す事が推奨されているけど、それがマイナスに働く。「間違い」に関して多少寛容でないと、間違いを犯さないように注意深く進み過ぎて動けなくなってしまうという特徴がある。そういう意味で、私のプログラマ生活は TDD とワンセットだったりする。

研究員には向いているはずなんだが、日本の大学だともうちょっと違う要素が多くなっているみたいで、そこは教授をうまく選ばないといけない。というか、いっそ海外に出ちゃったほうがいい。海外に出ると、そももそも自分がマイノリティ(日本人=少数民族)なので、マイノリティな中でマイノリティなことをやるのが馬鹿馬鹿しくなる、という利点がある。

うちの娘も小学校最後の運動会が終わって、来年から中学生。親の保護ができるのは、小学生までなので(という風に決めている)、あとは自分の世界を模索しないといけない。そういう場合に親ができるのは「環境」を用意しておくだけ。あと、この手の理論武装≒武器をあらかじめ揃えておく。不利だからと言って(根本的には)誰も助けてくれないし、誰の助けも根本的な助けにはならない。信じられるのは自分だけなのだから、うまく環境(自分のまわり)を制御するのがコツ。

本を読んだので補足

エイレン・N・アローン著「ひといちばい敏感な子」を取り寄せて、読み終わったので追記をしておこう。HSC が Child で、HSP が Person なので実質違いはない。この本は、HSC の子供を持つ親向けに書かれているので、HSC かな?と思う場合は、「ささいなことにもすぐに動揺してしまうあなたへ」を読めということになっているが、自分の子供の頃は、注意欠陥も多動症も緘黙な子もごっちゃにまとまって「ひとつの普通のクラス」だったので、昔のことを思い出しながら小学生の章を読み下せばよい。

私は日本では「HSC がグループになじめなくて~」と書いたが、この本では179頁に「和を重んじる日本などでは、見方が違う」という項目があって、アメリカ国内の強い自己主張に負けてしまう HSC の子は、日本のような自己否定の少ない国のほうがなじみやすいのではないか、という書き方がされている。どうやら、アメリカでも日本でも HSC な子にとっては住みにくいらしい。

この本には HSC/HSP の「怒鳴りに対する恐怖」っぽいものは書かれていないのだけど、子供を叱るときに頭ごなしに叱るのではなくて、言い聞かせるほうが通じやすい、という書き方がされている。全体的に診療心理学の分野なので、自己主張よりも「現実の世の中にどのようになじむのか」という視点での提案が多い。まあ、芸術家などに HSC な人が多い(アスペルガーが多い)などと書かれているが、実際に統計をとるならば、無作為に芸術家を選び出して HSC な人の割合と、一般抽出の割合とを比較しなければいけないので、あまりあてにならない。が、良い目標にはなるだろう。HSC/HCP であることが、マイナスの要素として働くだけでなく、プラスの要素としても働くわけだ。これは障碍(障害)としてではなく、とある性格(特徴)として捉えることができることを示している。勿論、パラリンピックを観ればわかる通り、片足が義足でも一般のひとよりも遠くに幅跳びができるように、明確な障害(健常者ではない足)が人として全体的にはマイナスに働かない例もあるけれど、なにかと子供のうちはマイナスになりそうなところは避けておきたいのが人情だ。しかし、そういう明らかなマイナス要素としてではなく、伸ばすべき特徴(あるいは、本人の希望を叶えるための原材料)となる可能性あるならば、使わない手はないだろう。HCPの割合が15~20%という割合をどうとらえるかにもよるし、それは本に示されている通り「5人に1人」という高い割合なので、自閉症などと違って高い確率で存在することなる。そこを、進化論的に捉えて、潜伏した劣性遺伝子として捉えるかどうかは、今後の研究次第なんだけどどうなんでしょう。あとがきを見るとセロトニンと差次感受性に関係するので、普通に躁鬱病に関係するような気もするけど。このあたりは、自閉も多動もアスペルガーも根本は一緒だと思っている。症例が違うだけで。

 

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