計画を見直せない病、という点で国立競技場の件を考える

すわ、例の中抜き構造ですか?と思っていた国立競技場の予算超過の件ですが、新国立競技場の工事費が下がらない理由|建築エコノミスト 森山のブログ を通読していくと(「~めぐる議論について」も全て読む)、概算をせずに決定をしているのではなく、コンペの後に概算が来るというコンペ後の決定プロセスの問題みたいです。まともに作ろうと思えば 3,000億円、という価格(?)は正当なもののようです。ちなみに、森山さんのブログは進撃の巨人あたりから読んでいるので、読者としては古参です。

コンペをした頃の予算が不明なのですが、新国立競技場 – Wikipedia によれば、当初見込みが 1,300億円となっています。他競技場が500億円ぐらいなので、見込自体も高いし、その後の全部のせ状態で3,000億円という見込みも相当高いです。高いです…が、これは中抜き構造ではなくて、先のブログにあるように正当に建設したときの価格なので、それだけ掛かるということですよね。それはそれでokです。というところから議論をスタートさせます。

私としては「福島原発は完全にコントロールされている」という首相の言葉が嘘っぱちで、その後の招聘云々も全然嘘っぱちなので、国立競技場が建つとか建たないとかには興味ありません。あくまで「当初の計画/予算を大幅にオーバーしているときに、それを見直せないのは何故か?」に焦点をあてて考えます。まあ、内実は見栄とか誰かが得をしているとか、そういう問題に帰着することが多いので国立競技場そのものに関してはパス。都民なので、都民投票があったら行くぐらいのことはしますが(それくらいの権利はあると思う。都民税を払っている身だし)。

関連図を作る

本来はもっと複雑ですが、簡略化させます。

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  • 国/都から計画者(コンペ主催とか有識者会議とか)に予算を割り当てる。
  • コンペなり試算をして施工者に発注する。
  • 施工者が立てた国立競技場を国民なりが利用する。
  • 国民なり都民なりは、国に税金を支払う。

と考えます。内情は色々あるのですが、モデル化するとこんな感じでしょう。ツイッターなどを見ると(テレビはあまり見ないので、あとは新聞とかWEBサイトの諸々ぐらい)、色々どうすればいいという意見がありますが、その意見は「立場」によって違ってきます。国の立場なのか、国民の立場なのか、実施者の立場なのか、計画者の立場なのかということですね。それぞれ相手のことを慮ったり全体最適化を考えれば、そんなことが言えないはずなのに、そういうことを言ってしまうのも「立場」の問題です。でもって、立場から出てくるさまざまな「?」な発言は、立場の違いもあり「当事者」ではない(それぞれの立ち位置にいない)ことから、行動経済学的にもそういう思いに動くでしょう、って感じです。例えば、

  • 国や都の立場からすると、納税分でつくるので「お金」を自分で払うわけではなく、「予算」としての数字でしかない。
  • 計画者にとって予算を割り当てられた場合、「予算内」では自由に利用できる。予算超過分を「国/都」に出すのは難しい(国立競技場に関しては、コンペ→予算の順で決定するので、現在は予算計画の段階、予算が決まってしまうと、後からの修正は難しい)。
  • 実施者にとっては、実際に材料費、人件費等がかかるので、赤字にならないように注意する。よって、ある程度の「保険」を見込む必要がある。
  • 国民にとっては、税金を支払い、利用をする立場ではあるものの「税金」と「利用」の間は遠い。

というそれぞれの立場があるので、立場ごとに語っても立場ごとの効率を最大化するだけで、全体の効率は良くなりません(一瞬、良くなるように見える場合もあるけど)。そこには、全体の計画を見直す必要があるのですが、大抵の場合は「計画を見直さない」ことになります。何故か?

計画を見直すコストを考える

ITプロジェクトでは、よく計画を見直さずに突き進んでデスマーチ化するプロジェクトが多いのです。経済的な理由もありますが、大抵の場合は「交渉コスト」の増加のため、計画を見直しません。交渉コストというのは「行動経済学」でいう、人と人とのか関わりです。相手を説得するとか、相手に自分の意図を伝えるとかいうコストです。例えば、ジュースを買うときに、お店で買うのと自動販売機で買うのと、どちらが楽かというのが交渉コストです。ちょっと位、送料がかかっても Amazon のほうが便利ですよね、というアレです。

計画を立てたときに、後から計画を立て直すのが大変なのは、「計画が変更になった理由を相手に伝えなければいけない」というプレッシャーです。プレッシャー≒交渉コストですね。心理的であれ経済的であれ(飛行機で行かないと駄目とか、大勢集めないといけないとか)、「交渉コスト」が実際の負のコスト(予算の超過等)を上回ると、交渉しなくなります。つまり計画を見直さなくなります。「日本が戦争に負けた~」構造が今にも伝わっている、ような日本特有の構造に帰着させる意見もありますが、私から言えば「交渉コスト」の問題です。風土ではなくて、人と人との関係の構造ですよね。

アジャイル開発が一般的にきっちとした計画を立てない(チケット駆動を使うとか、スクラムを使うとか)のは、計画の変更コストが高いためです。変更コストは、時には M$ Project を使ったときに見直しが大変、という理由もあります。特に Excel で計画表を立てている場合、この変更コストが増大して、Excel の表を変更するのが面倒だから計画を変更しない、という巨大な「交渉コスト」が発生することがあります。

そんな訳で、計画自体にコストをかけてしまうと、計画を変更すること自体のコストが「モッタイナイ」ことになります。変更するコスト≒交渉コストが、当初の計画コストを上回るためです。

交渉コストを考えるときに重要な法則として、人は時間的に遠くのものはコストを低く見積もるという法則があります。時間によるバイアス効果なのですが、同じ利得であれば、遠くの利得よりも直近の利得のほうを好みます。これは損失の場合でも同じで、遠くの損失よりも直近の損失を強く感じます。逆に言えば、直近の損失よりも遠くの損失を弱く感じるわけです。過去に大きな損失があっても過去が過去であれば忘れてしまうし、遠くの未来に損失があっても直近のわずかな損失に目を取られます。これは交渉コストにも適用できるので、過去の計画コストは時間的に遠くであるがゆえに、低く見積もられがちになり、相対的に再計画を立てるときの交渉コストを高めてしまいます。これが、計画を見直したくない病の主な原因です。

このあたり、遺伝子的な進化論的にも同じで、環境に順応するために脳の効率的な活用をするときには、直近の減少に対して「習慣的」に効率よく対処する必要があります。このため、過去の成功体験(生き延びた経験)に準じて、現状に対処します。つまり過去の計画に沿って、現状に沿わずに再計画せずに進むほうが楽なんですよね。これは、個々の生物にとっては不利な状況(死んでしまうとか)に陥ることになりますが、群全体にとっては有利に働きます。一部が残って「遺伝子」を伝えていけばよいわけです。これが国レベル、民族レベルで起こっていると考えればokです。

計画自体のコストを下げる

  • 計画を見直すための交渉コストが高い
  • 時間的に遠くのコストは逓減される

という2つの現象を組み合わせると、計画を見直したい場合には、そもそもの計画を立てるコストを下げるという方法が良さそうです。きっちり細かく計画を立ててしまうと、現状でそれに従うほうが交渉コスト(実行コスト)が下がるので、自然と「計画通り」に進めることが一番の効率化になります。そうです。計画駆動が一番効率が良い状態は、「まったく変更がない」ときに効率が良くなるという現象です。となれば、未知数がないときには、緻密な計画を立ててそれに沿って進めるとコストが低くなります。実は、プロダクト=製品開発、ベルトコンベア生産の場合には、これが当てはまります。それぞれの作業を最大化することで、効率があがるので、それぞれの場所で考えることはせずにあらかじめ計画を立てて作業手順を決めておきます。

逆に、実行時に計画にはずれることが多いことが予見できたならば、計画自体に大きなコストをかける必要はありません。その都度、計画を見直すコストを下げるように、大計画≒大き目な方針、と小計画≒それぞれの現場の作業とを分ける必要があります。労働集約的にアジャイル開発やセル生産などは個々の力量/能力に追うことが前提となっていますが、それは個々の力量/能力が、最初の計画では推し量れない≒変数だからです。

逆説的ではありますが、時間によるコストの低減効果に従えば、

  • 「作業ごとに計画を立てるコスト」<「過去の計画に従うコスト」

となるようにすれば良いわけです。綿密な計画を立ててしまうと、過去の計画に従うほうがコストを下げるので、無駄な計画に従っているほうが楽、という状態に陥ります。良くも悪くも、隷属化しているほうが楽というのがこの状態ですよね。「作業ごとに計画を立てる」というのは、個々が作業に対してコストを下げるように努力をするということです。イコール楽をしようとすることですね。楽をするためには、頭を使って無駄な作業をしないようにしないといけません。このあたりはセル生産に詳しいですね。

小規模の計画は個々にまかせて、全体の計画(全体の予算)等の大枠だけ決める方法をとってみましょう。

  • 国や都としての「出せる予算/工期」を決める。
  • 計画者では「出せる予算/工期」内かを見積もることに集中する。
  • 実施者は「出せる予算/工期」内で実施する。

という予算と工期の大枠を決めます。予算の大枠が決まれば、そのうちで高いかどうかは別な話です。それがザハ案であろうと、別の案であろうと、他の競技場の500億円という予算内で収まれば、何でもいいでしょう。逆に言えば、大幅に予算や工期を超えると想定された時点で、それはアウトです。

再計画のコストを下げる

計画変更のストを考えるためには、2つの視点が必要です。

  • 過去の計画に従うよりも、再計画をしたほうがコストが安くなる
  • 再計画するときの交渉コストを下げる

誤った(と思われる)過去の計画を捨てて、やり直す場合には、先の国立競技場の予算組みのように「大幅な予算超過」が効率的です。3,000億円としたり、ちまちま削減したりせずに、「ザハ案にすると5,000億円超かかります。だから見直しましょう」で有無を言わせずですよね。駄目なものは駄目なんだから、前計画がどれだけコストがかかるか(駄目さ加減)を強調すれば、再計画のコストは相対的に下がります。かつ、前計画を進めたときに、超過する金額が膨大になります。ちなみに、国立競技場の場合は、国民/都民からの税金なので、このあたりの手法がとりにくいのですが、ソフトウェア開発の場合、「代案」を出すときにはこの手法が使えます。このままいくと、これだけ超過します、という場合には「大幅に超過する」ことを強調した後に「代案」を出すというテクニックですね。

  • 「前計画を見直さないときのコスト」>>「再計画したときのコスト」

もうひとつ、再計画自体の交渉コストを下げておきます。これの主な手法がアジャイル開発にあります。綿密な計画を立てるのではなく、おおざっぱな計画に沿うようにして変更しやすくします。変更しやすくする手段としては、きっちりとした計画表を作るのではなく、チケット駆動などを利用します。勿論、将来的に「計画駆動」の計画自体が流動的に変更可能になれば、話は別なのですが、現状のところ計画を変更する≒計画表を変更するコストが高いために、このような現象になっています。

国立競技場の件で交渉コストを下げる(この場合は、「予算が超過してしまうから、ザハ案を捨てて別の案にする。あるいは、旧国立競技場をそのまま再現する」等の提案)ためには、交渉コストより将来的に得られる利得が上回ればよいのです。

  • 「将来的な利得」>「計画を見直す時の交渉コスト」

ただし、将来的な利得は時間的な低減効果があるので、それなりに見合うだけの大きな利得(想像ではあっても)が必要です。このあたりは、損失ではなくて利得にしないと駄目です。損失の場合は、やはり時間的な低減効果が働いてしまって、先行きの赤字(国立競技場の年間赤字)が低く見積もられてしまって(実際、0.4億円プラスという試算が出てきてしまう始末)、相対的に現在の交渉コスト≒再計画のコストが高くなってしまいます。よって、計画を見直したときの「利得」がより多いことを前面に押し出すとよいのです。ソフトウェア開発で言えば、現状の実装が難しいものや、危うい動作を削除してしまい何か別のものを付け足すことによって、運用時のコストが下がりかつ利得が多く得られる可能性がある、という具合に話を持って行きます。

計画を変更するための原動力を加える

計画や構造が正しいとか正しくないとか、過去の戦争の失敗のあれこれとか民族性だとかナントかではなくて、計画を変更するための力を加えればよいのです。計画を変更することが目的なのですから。それも方向的に対峙する方向から力を掛けるのではなく(真っ向から反対という意味)、横から力を加えます。場合によっては、ななめ後ろから力を加えるわけです。援護射撃っぽく見せて、かつ行かせたくない方向に射撃する(後ろから打たれたくないから、その逆に走る)という方法です。

まあ、国立競技場の件はさておき、計画を見直せない病を疑似体験しておくのも悪くないかと、と思って書き下しておきます。

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