Thank You と Sorry が多い国で

街を歩くと、thank you と sorry の言葉が溢れています…というと喩えのように聞こえますが、実に音声として「thank you」と「sorry」がたびたび聞こえるているわけで、これを日本語に直せば「ありがとう」と「失礼」にあたるわけで、そうなると昨今の日本には「ありがとう」と「失礼(御免)」が聞こえないのは若者日本のなんちゃらだ…という話になりそうですが、そうではありません。

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ロンドンの街で散歩をして(散歩に連れられて)思うのは、これらが単語として聞こえてくるということですね。感謝は気遣いの気持ちが、言葉として表れているということも言えるし、それに対して日本は…と続けることができるのですが、実は私が思うに「会釈」がそれにあたりますよね。いちいちに言葉には表さないけれど(言葉に表すこと自体が「無粋」と思えたりすわけで)、感謝の気持ちなり心遣いというものはあるわけです。

ロンドンという街中の、ビジネス街だからかもしれないのですが、そのあたりの雰囲気が日本と似ています。日本でも東京のど真ん中でそれなりに雰囲気の良いところであれば、そういう「余裕」があると思います。狭い道を歩いて、双方をから傘を差してきたときの傘かさぎのようなマナーの心ですね。

こういうのは、国の教育方針も含めて、伝統からくる教育方針というか小学校で「雰囲気」あるいは「道徳もどき」のものとして教わるものかなと。

なので、時にして「コンビニに行ったとき」とか「安め居酒屋に行ったとき」とかの違和感が、それなのかなぁと思ったりします。ロンドンに居るときの違和感が少ないのは、そのあたりのベースが日本と一緒なのかなと思ってみたり。が、ロンドンの街中を歩く人は必ずしも「英国出身」ではなくて、フランス人なり中国人なり黒人系なりいるわけです(国がわからないので「黒人系」と書きますが、白人系ではないという意味で)が、みな似たような雰囲気を持っています。この似たような雰囲気というものが、国自体を支える…というか、国自体を形作るものなのかなと。

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