京都アニメーションの被害者に哀悼を込めて

実は、アニメ制作の進行とソフトウェア開発のマネジメントの話 | Moonmile Solutions Blog の追記をしようと思った矢先に、京都アニメーションの放火事件があり、心理的に続きが書きづらくなってしまった。ので、1時間ほど哀悼を込めて綴っておこう。

プログラミングのバックグラウンド映像にアニメを流している位に「アニメファン」ではあるのだが、実は京アニ「だけ」に思い入れがある訳ではなく、どちらかといればそれ以前のアートランドあたりからスタートしている「アニメマニア」であったりする。

先に書いた通り、アニメーション制作の進行係にはプロジェクト管理として興味を持っていて、その周辺の技術(動画とか作画とか諸々)はセルアニメの頃の知識で止まっていたりするので、実は「なつぞら」あたりのほうがよく知っていたりする。知識としてだけだが。

「なつぞら」と「SHIROBAKO」の進行を比べたり、三鷹のジブリ美術館に行ってみたり、ディズニーの絵コンテを買ってみたりするのは、趣味というのもあるけれど、絵を描くことと、プログラムを書くことは「手を動かす」という意味で同じジャンルにあるだろう(あるとしたい)という気持ちがある。まあ、大学の頃に漫研に居たというのもあるし、なんとなく絵を描き続けられなくてプログラムに逃げてしまった?という経緯もあって、いまだにちょっとだけ「憧れ」がある。とはいえ、50歳も過ぎれば、憧れは憧れのままにしておく手法もあり、どこに時間を費やすかといえば、プログラム&文章に費やしたりしてしまう。技術書をちまちまと書きおろしているのはそのためでもある。

いまさら、アニメーションが人々の心に影響が…という話でもないと思うのだが、「けいおん!」がアニメマニアではない高校生に大きな影響を及ぼしたのは間違いないらしい。間違いないらしいというのは、実は「けいおん!」はリアルタイムで見てはいなくて、時期的に言えば就職して暫くテレビを見てなかった頃だったので、後からレンタル屋さんで借りてきてみている。私の高校時代といえば、「うる星やつら」とか「ガンダム」とか「みゆき」とかが午後7時台に放映されたいた頃なので、アニメを見るのは子供でもありつつ高校生でもありつつ、ちょっとマニアックな大学生でもあった時代だった。「おたく」がテレビに認知されつつも、宮崎事件があった頃でもある。そこから、だいぶん下ったところに「けいおん!」があって、放映後にしばらくたった時期ではあるけれど「けいおん!」が放映されてときの同時代性というのものは、当時の高校生にとって非常に大きかったことを伺い知れる。

いわゆる、いじめが陰湿化してしまった後に、学校への不登校とクラスになじめない自分とのはざまの中で、疑似的にではあっても「けいおん!」が高校生活を体験させてくれたというブログ記事がちらほらみられるのが興味深い。それと同時に「けいおん!」を見て軽音を始めた高校生もいて、このアニメが影響を与えた層というものは、従来のアニメファンだけではなくく、一般的に理解されるであろう(おそらく当時の親の層からも理解されたかもしれない)層までも「アニメ」を広げたという感じがしている。おそらく、かつて「金八先生」をクラスで話題にしても恥ずかしくなかったぐらいに、「けいおん!」をクラスの友達と話してもハズか少なかった位にも浸透したのではないだろうか?という気がしている。

同じ現象は、ジブリアニメでも起きているわけで「天空の城ラピュタ」を誰もが知っているように、「ジョジョの不思議な冒険」を知っているように、そこの登用人物や科白を使っても恥ずかしくはない程度に「アニメ」は浸透したのだと思う。

実は京アニ自体に特別な思い入れはないのだけど、あらためて「響け!ユーフォニアム」や「たまこまーけっと」を見返すと、節に復活を願う。当然のことながら、「日常」と「らき☆すた」は、作業用BGMの定番である。

ちなみに、仕事中にアニメをBGMで流しておくのは、

  • タイマー替わり
  • 過集中を避ける

の2つの意味合いがある。タイマーのほうは、艦これでもよいのだが、TVアニメの場合24,5分単位で終わるので時間が測りやすい。よって、映画ではなくてTVアニメの各話を流し続ける。

あと、プログラミング自体に集中しすぎると最終的には効率が悪い。職業柄、大量なサンプルコードを書くことが多いので適度な休憩が必要になる。その休憩のタイミングをTVアニメの各話に挟めるというメリットがある。また、過度に集中するよりも、ある程度気を散らしたほうが疲れないというのもある。このあたり、ラジオが良い人もあれば、音楽が良い人もいる。あるいは、静かなほうが効率が良い場合もある。それぞれだ。

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