ジェラルド・M・ワインバーグ追悼

随分間が開いてしまったが、書かないとそのまま通り過ぎてしまいそうなので1時間ほど書き留めておこう。

「ライト、ついてますか」で有名なワインバーグではあるけれど、私にとっては「コンサルタントの道具箱」と「プログラミングの心理学」のワインバーグだったりする。一時期、彼の主催するコンサルタントの集まりに行きたいと思ったこともあったが、まあ、それは昔のことではある。

おそらく私がワインバーグ氏を知ってきちんと彼の本を読み込み始めたのは、ワインバーグの各著書がブームを過ぎた頃だと思っている。2000年頃に会社の受託開発での各プロセスに疑問を持った私は、なんらかの形で開発プロセスを改善したいと模索した。アジャイル開発のはしりもあり XP があり TDD もありオブジェクト指向もあり UML もありと様々な道具立てが出てきた頃でもあるのだが、私の興味はもっと人間の動きに近いところの「ピープルウェア」と心理学な分野であった。当時、すでにコンサルタントとして名を聞いていたワインバーグ氏のっ著書で最初に手に取ったのは「コンサルタントの道具箱」だったと思う(本棚には「スーパーエンジニアの道」や「ワインバーグのシステム変革法」などひととおり購入したので、どれが最初だったか覚えてはいない)。現在はコンサルタントではあるが、昔はプログラマだったというワインバーグに興味があった。ただし、あとで知ったところだが(プログラミングの心理学を読んだときだったが)、プログラマとして働いたのは1年半位の話で、そのあとはマネージャやコンサルタントとして働いているので「プログラマ」としてのワインバーグの意見はあまりあてにならない。時代も違うのだが。しかし、コンサルタントとしての視点は有効であろう、ということで「道具箱」なのである。

「道具箱」や「道具立て」というところが私にとって魅力的なのは、そういう暗喩を好んで使うところが好きだったからでもある。直接的なもの言いではなく(駄目とか良いとかではなく)、婉曲な言い回しはアメリカ人にしてはちょっと不思議な感じでもあったし、なんせよ「文学的」であった。言い回しを工夫することによって、相手が理解するように仕向けるという方法は「ライト、ついてますか」にたくさん書かれている。ちなみに、本のタイトルとなっている「ライト、ついてますか?」の意味だけが私にはかなりの間(5年間位?)わからなかった。これ「ライトをつけてください」とか「ライトをつけろ」という直接的な言い回しではなく、「ライトは、点灯しまいますよね?」という婉曲な確認の意味でなんだけど、もともと「ライト、ついてますか?」の婉曲な思考の持ち主だったので、これが婉曲な言い回しかどうかわからなかった、というオチだった。時にして、私の言うことがよくわからない、回りくどい、と言われることが多かったのだが、そもそもが婉曲に言うことに慣れていた(婉曲な言い回しを使うことによって、距離を置くという方法なのだけど)ので、それ自体に気づかなかったということでもある。自分の話なのに、自分のことではないような言い回しをする、ということだ。それは自分としては客観性を示しているつもりなんだけど、他人から見れば主体性のない言い逃れをしているように見えるらしい。

後から考え直したが、他人の婉曲な用法が分からないゆえに、自分独自の婉曲な用法とのずれのため、コミュニケーションが取れていない、という推測もできるし事実としてはそれっぽい。これは私自身では判断がつかない。

それはさておき、道具立てというのは、人の感情の起伏とは離れたところにある客観性を持つ。定規のようなものだ。物理的な計測というものが絶対的な価値を持つように(誰が測っても同じだし、時代が変わっても1mは1mだ)、目の前の出来事を一定の道具を使って比較をすれば、それは主観に引っ張られずに客観的にとらえられる。そして、客観的な事実をとらえたうえで主体的に判断すればよいのだ。2000年頃は絶対的な価値を求めて、TDD の正しさや一連の「ワインバーグのシステム何とか」を読み込んで目の前のプロジェクトからあれこれと読み取ろうとしていたものだが、今は違う。もっと緩やかなものだし、それぞれの多様な方法は多様な方法としてあるだけでいいと思う。だから、成功も失敗もその人あるいはグループあるいは会社に属するもので、誰かがとやかくと強制はできないものだ。だからこそ、誰からも強制される訳ではなく、ほどよく理論武装をしほどよくガードを保つ。正攻法で受けるのではなく、いなす。まあ、それこそが道具立てではあるので、そこは道具(冶具)の使いどころというところだろう。

「コンサルタントの道具箱」や「コンサルタントの秘密」には様々な道具立てが掛かれており、独自な語り口調で数々の「法則」が語られているのであるが、実のところは「孫子の兵法」や「風水」や「タロットカード」を知ることによって、ワインバーグ独自の「法則」をなめることをしなくてよいことが今の私はわかっている。これらのどれも「まんべんなく俯瞰して状況をみること」を示している。目の前の事実から何かを読み取ろうとするとき、人は何かを読み取ろうとするがゆえに、固定の事物に縛られがちになる。だから、ばらっと視野を広くして無理矢理にでも他の事象を合わせてみることが必要なのだ。進化論的に。このあたりのは話は、どんどんと突き詰めてしまうとあらぬ方向に行ってしまいそうなので、そこは「ワインバーグの道具箱」を引用させて貰うのがベターなところだろう。残念なことに「プログラミングの心理学」には、現在の心理学的な正しさ(主に実験心理学の統計的なアプローチ)は全くでてこない。正しいと思われるような「モデル」を組み立てたうえで、都合のよい事象に当てはめてみるという「似非心理学」に近いものあるのだが、それはそれで十分だ。彼の業績がそれによって薄められるということはない。以前、TED で話していたオリバー・サックス(すでに亡くなってしまったが)を見たときに「古さ」を感じたと同じものを、ワインバーグにも感じる。それはそれでよい。私たちは(少なくとも私は)、ワインバーグの語る心理学や数々の道具立てが古臭く見える程度には進歩してきたのだといえる。そして、ワインバーグの業績は、まさしくそれ自体を古くするための礎になっているといえる。だから、彼の言う心理学てなテストや数々の統計ちっくなものや気づきのポイントみたいなものは、そのまま現在に持ってくると古臭くて場合によっては間違っている。けれども、それらをアレンジして語ることはできる。本質を変えてしまって彼の言葉だけを借用してもよいし(ワインバーグを信奉する人ならばその方法は有用だ、若い人にはちんぷんかんぷんだろうが)、逆に本質だけよりわけて言葉を現代風にアレンジしてもよい。

「ワインバーグの道具箱」で私が好きな道具は「ジャムの法則」と「くすぐりの羽根」だ。サティアに信奉してたワンバーグは、実に前向きに物事を進めるのが好きだったようなのだが、ちょっとユーモアに頼りすぎる。でも、カート・ヴォネガット・ジュニアもユーモアが好きだったので、その程度は許するのが良いだろう。厳しい状況にあって悲壮な感じで努力をするよりも、楽観的に斜に構えて努力するが気は楽だ。怒号の中でひたすら平伏するよりも、正義の御旗を振りかざしながら反発するよりも、シニカルな目で客観視をして事実をとらえる方法が私には向いている。だから、ちょっとした想像力とユーモアが必要になる。オブラートに包むためにも。

ぼちぼち1時間になる。ワイバーグを中心にしたコンサルタント集団やカンファレンスはどうなったのだろう。そのあたりはあまり問題ではない。それこそが「イチゴジャムの法則」なのだから。

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